砂山のパラドックスとは?わかりやすく解説【概要と解決方法など】
「砂山のパラドックス(もしくは「はげ頭のパラドックス」)」をわかりやすく解説します。言葉の曖昧さが問題になるパラドックスで、砂山やはげ頭が具体例として登場します。
概要
砂山はたくさんの砂粒からできています。そして、砂山から砂粒を1つ取り除いても、それは砂山と呼ぶのが普通です。
ではここで、砂山から砂粒を1つ取り除くという地味な作業を何度も繰り返します。永遠と根気強く続けていれば、作業の結果、もとの砂山は1粒の砂粒になるでしょう。
はたしてこの1粒を砂山と呼べるのかどうか…、どう考えても砂山ではなく砂粒ですが、ではどこからが砂山なのか?という疑問が生じます。これが「砂山のパラドックス」です。つまり、このパラドックスはどこからどこまでが砂山かという曖昧さが問題になっています。
日常生活で砂山の定義にこだわり出したらただの面倒くさい人です。こういった話題は避けた方がよさそうですし、そんなことを言い出す人は滅多にいないでしょう。ただ、定義が曖昧というのは、例えば『どこからが浮気か』みたいな問題にも登場します。
はげ頭のパラドックス
「はげ頭のパラドックス」は頭髪が多い人はハゲではないので、頭髪が多い人から髪を1本抜いてもハゲとは呼ばれません。ここで髪を1本ずつ取り除くという鬼のような作業を繰り返します。髪の毛一本だけの状態をはげではないと言い切る人はいないですが、どこからハゲかと言われると明確にはわかりません。
矛盾点
「砂山はたくさんの砂粒からできている」と考えるので、「たった1粒の砂山」というのはどこか矛盾しています。砂山の砂粒が減ったら、どこかで砂山と呼ばなくなるのは当然です。しかし、もしも山みたいな形の大きな砂粒があったとしたら、1粒の砂粒も砂山と呼ぶことができたりします。
理由と解決方法
言葉が曖昧なため矛盾が生じます。解法はいくつかあります。
- 境界の設定:「砂粒1万以上を砂山と呼ぶ」と定義します。砂粒1つは砂山ではありません。
- 段階の設定:砂山かどうかではなく「砂山である」「どちらともいえない」「砂山ではない」に分けて考えます。境界設定同様、砂粒1つは砂山になりません。
- 曖昧さの否定:境界は存在しているが、誰も知らないという考え方です。曖昧な言葉にも境界は存在しているので、「砂粒1万以上が砂山」や段階設定は必要ありません。
結論
「砂山」は曖昧な言葉です。「太っている」「部屋が明るい」「大人」も曖昧な言葉です。
余談
「机」も曖昧な言葉です。机を削って、どこまでが「机」か、を考えると「砂山のパラドックス」と同じ矛盾が生じます。
エウブリデス
エウブリデス(紀元前4世紀頃)はギリシャの哲学者。その生涯は不明な点が多い。
「砂山のパラドックス」以外に、「エーレクトラーのパラドックス」「角のパラドックス」など、様々なパラドックスを考案した。