ムーアのパラドックスとは?わかりやすく解説
ムーアのパラドックスは「雨が降っている。しかし私はそれを信じない」という言葉で言い表されます。変な人が話しそうというのは確かかもしれませんが、明らかに矛盾しているかというと、そうは思えません。これについてわかりやすく解説します。
概説
「外は雨が降っている。しかし私はそれを信じない」はおかしい(馬鹿げている、不条理である)というのが、ムーアのパラドックスです。何がおかしいのか考えるため、「外は雨が降っている」と「雨が降っていることを私は信じない」という二つ文章に別けます。二つの文章は、矛盾していないようにみえます。しかし、最初の文に「信じる」という言葉を加えると矛盾します。
このパラドックスから、確かな事実だと思えることであっても、それはただ信じているに過ぎない、ということがわかります。
「雷が鳴った。しかし私はそれを信じない」「信号が青に変わった。しかし私はそれを信じない」などもムーアのパラドックスです。
矛盾点
「外は雨が降っている」と「雨が降っていることを私は信じない」は矛盾していないようにみえます。
しかし「外は雨が降っていると私は信じている」と「雨が降っていることを私は信じない」は同時に主張すると矛盾します。信じながら信じないなんて、意味不明です。
解決方法
「信じる」という言葉を加える方法はムーアの考えです。「外は雨が降っている。しかし私はそれを信じない」が矛盾する理由は他にもあるかもしれません。
自然な主張
発言者が違うなど、信じている人物が異なる場合は矛盾にはなりません。
ふたりの主張
「外は雨が降っている」「彼は雨が降っていることを信じていない」に問題はありません。
これは「私は雨だと信じている」「彼は雨だと信じていない」になるので矛盾はありません。ふたりの信じることが違うことを表しています。
過去の主張
「外は雨だった」「しかし私は信じなかった」も問題はありません。
「外は雨だった」と信じているのは今の自分です。雨が降っていた時の自分が信じていなくても、今の自分の信念とは矛盾しません。
結論
「外は雨が降っている」は信念を示しているだけです。雷が鳴った、信号が変わった、お腹が空いた、などは自分が信じることの主張です。
余談
デカルトは信じていることを全て排除することで「我思う、ゆえに我あり」という境地に至りました。
ムーアとは
ジョージ・エドワード・ムーア(1873-1958)はイギリスの哲学者。「ムーアのパラドックス」や「分析のパラドックス」などの概念を提唱した。